想いが雨を降らせた。
胸を焦がした青年の涙、少女は離れてゆく。
好きと結婚の等価性 6
阿散井君は近付く俺に気付いて顔を上げた。
だいぶ弱った顔をしている。俺たちのことがもう耳に入ったようだ。
俺の姿を認めると、彼は目を伏せて軽く頭を下げた。
「阿散井君。」
どうも、聞き取るのがやっとの小さな声がした。
「・・・ちょっと、いいかい。」
俺の決意を話すよ。そのために踏み出したんだ。
阿散井君は俺から目をそらした。
「いいっすよ。」
ため息と共に吐き出された言葉には、諦めが混じっていた。
朽木と付き合う前から、阿散井君が彼女を好きなのを知っていた。
阿散井君が彼女に触れられなかったわけも、その若さも、超えたい人も。
「知っていて、あえてしがらみを絶たなかった。」
橋の手すりに俺も寄りかかって言う。
「絶てなかったのかもしれないな。君が怖かった。」
「・・・不憫に思っただけでしょう。」
阿散井君が言った。
小川の流れが月光に反射して、彼の足元を照らしている。
その言葉を否定できない。そうだ、君が可哀想だった。
「そうだな・・・しかし恐ろしかったのは事実だ。」
彼を絶てば、朽木が何を言うか想像できなかったからだ。
二人は俺の知らないような絆でつながれている。色恋などでは語れぬような。
簡単に彼を突き放せば、朽木が絆ごと離れてしまうような気がした。
「でも俺はもう腹を括ったよ。」
阿散井君は黙ったままだった。
「朽木と結婚することにした。」
身じろぎひとつない。
彼はもうだいぶ前から腹を括っていたんだな。
わずか一滴の望みに掛けることもせず、若いのに。
ようやく阿散井君が深い息を一つ吐いた。
よく見れば、俯いた口元はかみ締められて、肩は震えている。
「・・・すまない。」
思わず、今の彼に最も不適合な言葉が口をついて出た。
当然彼は顔を上げてきつく俺を睨んだ。
「謝んなよっ!」
思いがけない大声が響いた。
「俺がどんなにルキアを・・・どんなに・・・」
六番隊の副隊長、弱った姿も涙も見せたことは無い。
何十年もの間好きだった女を、触れることすらできなかった女を諦める。
「好きだった。無駄だとわかってもでも、言わずにはいられなかった。」
諦めることは簡単じゃない。
過去の自分とその決意を諦めるのだ。言葉も態度も感触も記憶も。
「浮竹さん・・・」
だが諦めを覚悟すれば強くなる。超えたいものが近くなる。
慰めなんかじゃないさ。
「ルキアを幸せにしてやってください。」
彼の悲痛を無駄にはさせない。
俺は何も言わず、ただ頷いた。
土砂降りの雨の音が俺の目を覚まさせた。
窓掛けを開けると外が見えぬほどの雨粒が、世界を覆っていた。
これは青年の涙だ。
奪われた少女を嘆いて、虚しく残った努力を呪って。
恨めしげに俺を濡らし自分を責めても終わらない。
でも明日はきっと晴れる。
少女の幸せを祈って、残った努力を諦めない。
彼の涙はきっと止む。
傘はほとんど役に立たず、びしょ濡れになりながらも何とか隊舎に着いた。
「まいったな・・・」
死覇装に水が染み込んで重さが増している。
このままでは風邪をひきかねないな。
「だいぶ濡れてしまいましたね。」
ふと後ろから声がかかった。
随分と気配を消すのが上手くなったようだ。
「朽木・・・」
手ぬぐい片手に近寄るその少女は、昨日とは何も変わらない。
あの二人が変わったのに、渦中のこの子はそのままなんだな。
当たり前のことだが少し安心した。
「なあ朽木、昨日な。」
俺の肩を拭いていた手が止まる。
「白哉とちゃんと話をつけてきたよ。」
「・・・はい、兄様から伺いました。」
朽木の顔が照れたように赤くなった。
「妻としての役目を果たせ、と言われました。」
「そうか。」
頭を撫でてやれば安心して笑う。
このまま笑っていてくれればいいが、伝えるべきことがある。
「あと、阿散井君とも・・・話した。」
急に朽木の顔が曇った。
この子にとって一番辛い話だ。
一度も応えることなく終わった、幼馴染への想いは大きいはずだ。
「認めてくれたよ。」
「・・・どんな様子でしたか。」
朽木が尋ねる。眉根が下がって不安そうな顔だ。
「泣かせてしまった。」
朽木の瞳が揺れている。
今にも涙がこぼれて、白い肌を濡らしそうだ。
「ごめんな、もうお前を泣かせまいと決めたんだが・・・」
「れ、恋次のところに・・・」
彼のところに行ってどうする。
今の彼に掛ける言葉は全て、剣の切っ先となって彼を刺す。
「だめだ。」
走り出そうとした朽木の手首を掴んで引く。
そして動けないように抱きすくめた。
「離して、離してください!」
「今行ったら彼の自尊心を傷つけるんだ。」
あえて静かな口調で朽木の耳元で囁いた。
「分かってくれ、行くな。」
朽木は大人しくなって俺の胸に顔を埋めた。
「いい子だ。」
震えるその背中を優しく撫でてやる。
早速、白哉との約束を破ってしまった。
でもこれが最後だ。
散々泣かせた、これが最後の涙だ。
「朽木、聞いてくれ。」
少女が顔を上げた。
涙で濡れた顔、俺より随分と若い少女だ。
お前には言わなければならないことがある。
他の何より大事なことだ。
お前をこれから幸せにするために、必要な言葉だ。
雨音だけがさんざめく。
To be continued